右手がむくむ、手首が痛い

症例報告を追加しました。

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脳出血からの回復過程で、CRPSが疑われるケースでした。

 

こういった場合、症状を呈しているところに施術をしようとする気持ちをいかに抑えて、クライアントの自己治癒能力のサポーターに徹することができるかが、重要になってくると思います。

「俺が治した」「私が治します」という言にふれることが多い業界ですが、そういったことを臆面もなく出せるのは、〇〇か△△かのどちらかだと思います。

 

あるクライアントにゴッドハンドと思われることはあると思います、しかし全ての患者を治すことができるゴッドハンドは、当たり前ですが有史以来存在しません。

 

存在しないものの提供を約束することを、法は許していないと思います。

 

 

カイロプラクティックが社会から職業として認められるには

こんにちは、まつむらです。

 

カイロプラクティックは日本では、医業類似行為をその業務とし、その職業的地位は法整備された国家資格とは異なり、業務の許容範囲が「人に危害を加えないかぎり」という医業、医業類似とも関係のない他の一般的な職業と同等の制約を受けるのみです。

 

いってみれば、公(おおやけ)からのは「あってもなくてもよく、人を傷つけたら専門的な検証を要せず、処罰する」といわれているようなものだと思っています。

 

通常、専門的な職業領域における結果責任は、単純な成否によってはかることのできないものです。であるからこそ「専門職」といった名前があり、彼氏彼女らの行った業務は、それを斟酌した上で最終的に評価されます。

 

でないと、高度な技術者は、法曹、医療の現場などで、安定した地位を維持できず、その業界に存在しなくなります。

 

昨今日本の社会では、専門職に対する敬意が低まっているようで、職業的知識を総動員してなお、届かなかった結果を、その失敗をもってかるく一蹴する光景が一般的にみられており、それはカイロプラクターとしてただただ怖れを感じる次第です。

 

健康被害をださないよう教育を受け、さらなる品質向上を日々行う臨床家が、そういった扱いによっていともたやすくその道を断たれるのであれば、いかに、人々の健康に貢献しようと志をもっていても、その継続は難しいのではないでしょうか。

 

そういった状況に忸怩たる思いをもちますが、動画サイトやSNSなどで、本来であればおだやかに扱うべきクライアントのカラダを粗雑に扱い、「バキバキ整体、ポキポキ整体」という名目で、おどけた雰囲気の中でマニピュレーションを行う先生(とよばれる人たち)の動画を目にすると、「公」からの残念な扱いもやむなし、とも思えてしまいます。

 

カイロプラクターにかぎらず、真摯に学び、人の役に立ちたいと思うヘルスケア人が誇りをもてるような、そういった業界が日本に根付くように、できることからやっていきたいと思うのですが、私に何ができるか悩みます。

 

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頸の付け根の痛み、指先のしびれ

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頸の痛みと指先のしびれのセットを主な訴えにする方が増えているように思います。

きっかけは、急に、なぜか少しずつ とさまざまですが、違和感として感じるものがかなり大きいので、医療機関に受診済みの方も多くいらっしゃいます。医療機関では、頸椎ヘルニアとしばらく様子見のセットが出されることもまた多いようです。

 

様子見というのは、治療方針を固定して、その行く先をウォッチすることのように思いますが、来院する方のお話ぶりでは、「患者さんの自然治癒力に期待します」と言われたように感じている方が多いようですが、実際のところはわかりません。

 

さて、当院の施術方針は、リンク先のように頭と背中、肩甲骨の位置関係を修正すべく筋肉のケアと、胸椎の可動性回復となりますが、もっとも重要なもの僧帽筋へのケアとなっています。

 

カイロプラクティックをやっていて思うのは、知識を誇りたいがため小さくてマイナーな解剖学的構造に着手したがってしまいますが、やっぱり正常化する順番として、力学的に大きな力をだす、表層の大きなメジャーな筋肉をしっかりケアできることがなにより大切だということです。

 

小さいマイナーな筋肉をゴリゴリ刺激して「痛いでしょう、気づきにくい、こういうとこが凝っているので肩こりがひどいんですよ、しっかりほぐしますね」ということをやっていても、頸の動作時痛や指先の錯感覚は解消しないです。

全体のバランスを崩すにたるキーマッスル(?)を見極めて、しっかりリリースすることができれば「しびれ」という言葉にも怖気ずかずにしっかりアプローチできるはず、です。

 

マネージメント

「マネージメント」、かっこいい言葉だと思います。

「マネージメントがなっていないな、君は」

「〇〇社で、マネージメントをやっております」

 

なにかを、着実に遂行するオトナな響きがあります。

 

ドラッカーが有名ですよね、副読本の野球部の女子マネージャーが読んで部活運営に役立てるような筋立てのものが人気の。

 

で、漠然としたイメージでは、組織の中で、チームで仕事を遂行するにあたって、

チームメンバーが能力どおり、それ以上の成果をだせるよう環境をつくり、

計画を策定し、メンバー間調整をし、モチベーションを高め、外部環境との折衝を

行い。メンバーの評価を行い、次の仕事にむけてチームを維持成長させていくこと

を「マネージメント」なのではないかと思います。

 

おそろしき「マネージメント」。足をむけてねられじ「マネージャー」。

 

前職中、同僚がふと「受験の英語のセンテンスで、manage to do = なんとかやっていく、ってのがあったけど、マネージャーって、どうにかこうにかなんとかするのが仕事なんだなあ、やっぱ大変だな」と過負荷気味のマネージャーの様子をみて慨嘆しながらも言っていたことを思い出します。

 

上記の副読本、(読んでいないのですが)、マネージャーの資質として「真摯さ」をピックアップしておりました(帯にかいてあったの見ただけ)。

 

「真摯さ」、にわかに意味が、えーと「まじめで、ひたむきなさま」らしいです。

えーと、まじめでひたむきなマネージャーが戦線離脱するような時代だから、ことさら「マネージメント」なんて言葉が流通しだしたと思っているのですが。。

 

英語では、「integrity」と書かれています。訳は、

  1. 誠実、正直、高潔、品位
  2. 完全(な状態)、完全性、全体性

前者をとっているようですが、個人的には、2のように思います。

辞書によっては、整合性、一貫性ともありますが、前者は「いい人」感、後者は「鉄の人」感というか、環境がどれだけ荒れても、その人だけジャイロコンパスのように一定の安定性を保持するというか、そういった人が修羅の現場で頼りにされると思います。私は元IT業界出身ですので、なんとなく後者のイメージがしっくりきます。

 

さて、カイロプラクティックでも「患者(様)マネージメント」という概念があります。

施術計画とそれにそって実施していくための、患者様との施術を含めたあらゆる行為のことを指します。

手技療法は、人が人に行うもので、すぐに結果がでることは「マレ」です。慢性化した症状は特にそうです。そういった症状に対処する場合は、ぐっと腰をすえて、「マネージメント」することが大事です。痛みや辛さを抱えているのは、患者様であり、その中で羅針盤となって、状況をなんとかしていくマネージャーとして、信頼をしてもらえるようでなければなりません。

 

とはいえ、それは容易なことではなく、その気持ちをもって果てしなく地道に進んでいくしかないとも思っています。(ため息。。

 

とはいえ2 いまある自分とはるか彼方の理想とのギャップを、「マネージメント」するのも自分です。だからこそがんばっております。

 

ということで、「もしカイロプラクターが、ドラッカーのマネージメントを読んだら」

 

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こういう院になってます。(まだちゃんと読んでないのでちゃんと読みます。)

 

まつむら

 

 

 

まつむらカイロプラクティック新宿

2018年9月18日、本日から

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というカイロプラクティック施術院を開業しました。

 

4年のカイロプラクティック専門大学を修了し、都内カイロプラクティック

勤務を経、そして今年、家族の協力を得ながら始めることができました。

 

これからは、品質の高い、そして安定的なカイロプラクティックの提供に

まい進し、皆様の健康に貢献することを使命とし、精進してまいりたい

と思います。

 

妻に最大限の感謝をしつつ

 

松村

 

 

今年一年

四年間の学生生活を終え、カイロプラクターとして新たな人生の一歩をふみだし、あにはからずや親となり。めまぐるしい毎日のなか、あっという間の一年だった。

サラリーマンだったらもう管理職で部下を育てあげ、子供もそこそこ育てあげていたろうこの年で、カケダシのツカイッパシリをしている自分がなんとも、しょうがないなという思いだ。

 

そしてそんなものに、いまだ寄り添ってくれる嫁や誕生してくれた(?)息子に、今は感謝しかない。

 

幸いなことに、子供のころから、漠然とした怖れを感じて生きてきたが、最近はそういったものを感じることがなくなってきたように思う。

自信ができたとか、ひらきなおった、あきらめた、とかではない。

 

単純に良くも悪くも自分という人間のできなさ加減と、それでもわずかにできることをこの人生において増やせた、そしてまだ増やせるという感覚を、身体に刻むことができたからだと思う。

 

多分、のほほんと会社員をやっていたままだったら、いろんなことから逃げ回ったすえに震える子どものままで、さらにあと何十年も震えてすごすという事実に心を病んでいたのではないだろうか。

それを考えれば、まあ経済的な安定など皆無だが、心は強くなった分、人生をまだ楽しめるという希望が持てているから、(家族的にはどうかと思うけど)自分は幸せだ。

 

また仕事ってなんだろうという疑問もやっと自分なりの答えがだせたというのも大きい。

 

ひとことにすると「相反する価値の両立」というもの。

 

利益は大切だけど倫理も大事、今も大事だけど未来も大事、同僚は他人だけど仲間、顧客は単なる利益の源泉だけど一人の人間。複雑な状況の中でバカみたいにひとつを選択するのではなく、バカみたいにバランスをとり続けることは、そのときその場、その立場にいる人間にしかできない、つまり自分という人間にしかできない仕事なのだと。

 

そう考えると、俺じゃなくてもいい、俺じゃないほうがいいなんてことはなくて、それを考えて実行するのが俺なんだと、確信できた。

自分のかわりなんていくらでもいるけど、いままさにここにいるのが自分だということであれば、その瞬間自分の代わりなんていない。

なにやらまわりくどいけど、でもシンプルに勇気をくれる確信であった。

 

まとまらないが、おじさんはまだ前向きだということです

 

You need me, I don't need you


Ed Sheeran - You Need Me, I Don't Need You

 

 

 

 

次のために今に集中するということ

以前、テレビでプロの卓球選手がインタビューをうけていた。

 

「どうして、あんな速い球を打ち返しつつづけられるんですか?」

 

「来た球に対応しようとすると、できません。

だから、次うてる球がくるように、打ち返すんです。」

 

 

 

???

たぶんインタビュアーはわかってなかったと思う。

はぁ、という感じだったし。

 

 

最近、なんか分かる気がしてる。

 

相手が無限定状態でうってくる球には絶対対応できない。

だから、次うたれる球を制限するような球を打つ、ということなんだと思う。

 

今の打球がうてるかうてないかは、前段階できまってるということ。

 

この年になると、特にそれがわかってくる。

今来た打球にうまく対応できる可能性がもしあるとしても、それは若く体力がある

人にだけだと思う。そのあがきの中から、新しいものも生まれるわけですし。

 

でも、老齢だともうそうはいかない。のびしろがない。

今という強敵に、あがきという熱っぽい先延べは適用はできない

 

だめなものはだめ、死ぬときはしれっと死ぬ。そーゆーもんだと。

 

だから、そう、次のシチュエーションを自分のシチュエーションとするための

クールかつクレバーな一打をこころがけるのが、老齢者が「今を生きる」ための

命綱なんだと思う。

 

今に集中しろ、フォースとともに。 by クワイガン・ジン