カイロプラクティックのアイデンティティ

実習が始まったころ、患者さんをケアしている時に何度も頭に浮かぶことがあった。

「あれ、これ今なにやってんだろう」って。

 

マッサージ、リハビリ、指圧、いったい何を学びにここににきて、今何をしてるんだろうって。

カイロってなんだったんだっけ って。

 

そんな悩みを、先輩の先生にうちあけると、こういってくださった。

 

「一言ではいえない、すごくいろんなことが言える、でも結論はわからないってことになると思う」

 

「日々の治療の中、常に考えて、常に答えを出し続けないといけない事柄だよ、それは」

 

「いつか正解がでるかもしれないけど、常に考えつづけることが大切な事柄なのかもしれないね」

 

 

長く臨床をされてる先生に言ってもらえて、少し肩の力は抜けた気がした。

 

正解でないけど、今の自分の、「カイロって何するの」はこれ

 

①主にアジャストメントを使用し、Ptに自身の体が変化する可能性を提示する

②その時Ptに必要な変化とそのプランを提示し、同意する。

③プランを実行、管理をする。

 

 

主にアジャストメント、ってところを除けば、施術一般に適用できるし、

主にアジャストメント、ってところにカイロ特色がでていて、良いと思ってる。

 

今は、これを念頭において、実習で患者さんに接したり、技術の勉強をしている。

 

じゃあ、アジャストってなんなんだろうってことになるんだけど、それはまた。

 

 

 

アウェアネス

カイロプラクティックにおける治療には、イネイトインテリジェンス(以下イネイト)というものが前提におかれる。

宇宙の英知(ユニバーサルインテリジェンス)が、個々の人間において発現しているものをいい、それによって、傷病を負っても人間は自らそれを癒すことができる。カイロは、それを活性化させるために脊椎をマニピュレイトしているのだという。

一般的に、自己治癒力のことであり、何千、何万世代にわたる人体破壊試験の成果を詩的に言い換えたものである。

自己治癒能力をどの程度のもの、どういった仕組みと想定するかによって代替をふくめた医療の特色がでる。

 

自分が、臨床においてPtに対してどれほどの影響があたえられるか、週1回、1時間の治療時間と考えると、168時間のなかの1時間は彼らの生活時間の1%にも満たない。

その時間に自分から相手にあたえられる影響の総量などごくごくわずかなものでしかない。その事実と、Ptの多くがなぜか快方にむかってしまうという事実から、自己治癒能力の前にはどんな医療もその効果は極小である。(抗生物質は別として)

 

つまり、各療法の品位は、自己治癒能力に対する敬意の表し方にでると思う。

 

自分は、カイロプラクターであるが、ロルフィングにおけるアウェアネスという考え方がカイロ哲学より、礼儀正しく、しっくりきている。

臨床をはじめたばかりの自分は、Ptにコンタクトを通じて、できるだけ多くの観点を提示できるようにつとめている。気づけていなかったもの、気づくとより自己治癒が進む有力な観点(アウェアネス)をイネイトにたいして提示できるように。

 

人間のもつ自己治癒力は、システムではなく生きたインテリジェンスである。そう考えるのは、駆け出しだからか。何年後には、「俺が治した」なんていうのかな。。

 

 

 

 

 

何をする人

カイロプラクティックは、患者さんが困っている症状を消失させることをサービスとして提供する職業ではない、という考えかたがある。

 

脊椎の機能を回復向上させその結果として症状の軽減消失に寄与する、ということ。

 

でも、患者さんは、通常、脊椎の機能を回復してほしくて来院することは少ないと思う。

 

脊椎の改善と症状の消失にユルい関係が見出されているが、再現性が確実でないし、エビデンスも少ないから、仕方がない。

 

それで、「べ、別に症状を消したいわけじゃ、ないんだからね」というツンデレサービスになる。

 

店は、デレは確約せず、ツンツンを提供すると謳う。

 

お客は、レアなデレに深みを見出す、というサービス。

 

成立すれば、商売は成功するが、そういった暗黙の了解の上にしかなりたたないサービスは、職業として確立しにくいし、(あったとして)技術が発展しないし、継続しない。

 

カイロプラクティックは職業だ、という宣言と、ツンデレサービスは相容れない。

 

私は、カイロプラクティックは職業だと考えるので、ちゃんと治療を提供し、結果をごまかさずにうけとめて、未来の患者さんのために、歯をくいしばろうと思う。