卒業研究奇 慢心編
卒業研究のお題を以下に決めました。
「胸椎アジャストメントの物理学的負荷の計測とその評価」
で、What の次は Howです。
イメージ、胸椎に体重計のせて、そこアジャストすればいいんじゃないかということで、さっそく調査(ネットサーフィン)を開始。
高額なものものしい機器や難しい物理学用語におしつぶされないために、オトナは華麗に画像検索です
すると以下のページの画像がヒット。
おお、数千円の小型コンピューターに、数百円のセンサーつけたら
なにやら圧力が測定できるらしい、サンプルコードの言語もCかなんかで、いけそう。
そして、圧力センサー(FSR)でさらに検索したら以下のページ。
前述のArduinoとは違い、Raspberry piには専用のLinux OSがあって、外部機器とのやりとりも、自分にもなじみのある言語 Python が使えるみたい。
みると数行のサンプルコードで、センサーから値が取れているご様子。すばらしい!!
「できた、もうすでにできた、卒業研究は完成したよ」
もうそんな気分で、逆にやる気をなくしたほどです。
あとで地獄がまっていたわけですが。(続)
卒業研究奇 黎明編
2016年9月。最終学年も2学期を向かえ具体的になにをやるか決める必要があった。
自分なりに決めた方針は以下。
- 仮説を統計的に検証するような研究はしない。
- でもせっかくなので、少し「カシコげ」な雰囲気は醸したい。
ということで、一年の時に拝見した当時の卒業生の方の発表が印象的(たしかアジャストメントの前のセットアップ(ロック)の力学的解析かなにかだったような)だったので、カイロプラクティックの手技の物理学的計測はいいんじゃないかと考えた。
これなら、、元IT開発者の知識を生かして、定性的な手技の世界を定量化する、ということで1、2を方針をクリアできるということで、担当教官に相談したところ、「胸椎へのアジャストメントの負荷を、施術者バリエーションをつければ体格で差がでたりして面白いんじゃない」とのお言葉もあり、早速決定しました。
「胸椎アジャストメントの物理学的負荷の計測とその評価」
にきまりました。(続)
アジャストメント(その2)
ある夜、魔法使いは、シンデレラの前に現れ、その魔法で
かぼちゃの馬車と綺麗なドレス、ガラスの靴を与える。
彼女は、それらを身にまとい、王子に会い、彼の心をひきつける。
ただそれは一夜かぎり、魔法はとけてすぐにみじめな生活に逆もどり。
でも、その経験は彼女を変え、迎えにきた王子の前に自ら踏み出すのであった。
こんな話しでしたっけ。
アジャストメントの効果はすぐに消えます。
でも、こういう変化の可能性があなたにあります、というカイロプラクターからの
心をこめた提案です。
提案内容がそのカイロプラクターの個性であり、
そのリアリティがカイロプラクティックの技術、アジャストメントの本質なんだと思います。
アジャストメント
入学当初 ボキッとやると「うぉおお、と人間の自然治癒力が活性化する」もの。
生理、解剖履修後: Ib抑制による亢進筋の抑制
実技練習後: 関節反射による関連筋の抑制
臨床実習後(今): 周辺の状態情報の中枢への更新要求
術者が自身アジャストメントをどういったものとして行っているかによって
その結果は大きく変わると思われる。
というよりアジャストメントにかぎらず臨床そのものがそういったもの。
モデルをたてて、モデルにはたらきかける方法を磨く、それが複雑な事象に
対応する人間のデフォルト戦略。
カイロの臨床もそう。
人は重層的な存在なので、人が人を完璧に把握することはできない。
なので、術者は必ずモデルをたてる、完全記述ではない以上そのモデル間に
明確な優劣はないと思う。あるけど真の姿が不明なので比較できない。
そんな謙虚なふりして、こそっと「僕のモデルのほうがいいし、それ用の技術も
僕が一番(自分のモデルなのであたりまえ)」なんて、ひそかに思いつつ、
かけだしもふくめてみんな臨床をやってるんじゃないだろうか。。
技術者ってそういう生き物なはず。
僕は、プログラマ、柔術家、カイロプラクター、どの時でもそういうふうに考えてたように思う。
カイロプラクティックのアイデンティティ
実習が始まったころ、患者さんをケアしている時に何度も頭に浮かぶことがあった。
「あれ、これ今なにやってんだろう」って。
マッサージ、リハビリ、指圧、いったい何を学びにここににきて、今何をしてるんだろうって。
カイロってなんだったんだっけ って。
そんな悩みを、先輩の先生にうちあけると、こういってくださった。
「一言ではいえない、すごくいろんなことが言える、でも結論はわからないってことになると思う」
「日々の治療の中、常に考えて、常に答えを出し続けないといけない事柄だよ、それは」
「いつか正解がでるかもしれないけど、常に考えつづけることが大切な事柄なのかもしれないね」
長く臨床をされてる先生に言ってもらえて、少し肩の力は抜けた気がした。
正解でないけど、今の自分の、「カイロって何するの」はこれ
①主にアジャストメントを使用し、Ptに自身の体が変化する可能性を提示する
②その時Ptに必要な変化とそのプランを提示し、同意する。
③プランを実行、管理をする。
主にアジャストメント、ってところを除けば、施術一般に適用できるし、
主にアジャストメント、ってところにカイロ特色がでていて、良いと思ってる。
今は、これを念頭において、実習で患者さんに接したり、技術の勉強をしている。
じゃあ、アジャストってなんなんだろうってことになるんだけど、それはまた。
アウェアネス
カイロプラクティックにおける治療には、イネイトインテリジェンス(以下イネイト)というものが前提におかれる。
宇宙の英知(ユニバーサルインテリジェンス)が、個々の人間において発現しているものをいい、それによって、傷病を負っても人間は自らそれを癒すことができる。カイロは、それを活性化させるために脊椎をマニピュレイトしているのだという。
一般的に、自己治癒力のことであり、何千、何万世代にわたる人体破壊試験の成果を詩的に言い換えたものである。
自己治癒能力をどの程度のもの、どういった仕組みと想定するかによって代替をふくめた医療の特色がでる。
自分が、臨床においてPtに対してどれほどの影響があたえられるか、週1回、1時間の治療時間と考えると、168時間のなかの1時間は彼らの生活時間の1%にも満たない。
その時間に自分から相手にあたえられる影響の総量などごくごくわずかなものでしかない。その事実と、Ptの多くがなぜか快方にむかってしまうという事実から、自己治癒能力の前にはどんな医療もその効果は極小である。(抗生物質は別として)
つまり、各療法の品位は、自己治癒能力に対する敬意の表し方にでると思う。
自分は、カイロプラクターであるが、ロルフィングにおけるアウェアネスという考え方がカイロ哲学より、礼儀正しく、しっくりきている。
臨床をはじめたばかりの自分は、Ptにコンタクトを通じて、できるだけ多くの観点を提示できるようにつとめている。気づけていなかったもの、気づくとより自己治癒が進む有力な観点(アウェアネス)をイネイトにたいして提示できるように。
人間のもつ自己治癒力は、システムではなく生きたインテリジェンスである。そう考えるのは、駆け出しだからか。何年後には、「俺が治した」なんていうのかな。。