次のために今に集中するということ
以前、テレビでプロの卓球選手がインタビューをうけていた。
「どうして、あんな速い球を打ち返しつつづけられるんですか?」
「来た球に対応しようとすると、できません。
だから、次うてる球がくるように、打ち返すんです。」
???
たぶんインタビュアーはわかってなかったと思う。
はぁ、という感じだったし。
最近、なんか分かる気がしてる。
相手が無限定状態でうってくる球には絶対対応できない。
だから、次うたれる球を制限するような球を打つ、ということなんだと思う。
今の打球がうてるかうてないかは、前段階できまってるということ。
この年になると、特にそれがわかってくる。
今来た打球にうまく対応できる可能性がもしあるとしても、それは若く体力がある
人にだけだと思う。そのあがきの中から、新しいものも生まれるわけですし。
でも、老齢だともうそうはいかない。のびしろがない。
今という強敵に、あがきという熱っぽい先延べは適用はできない
だめなものはだめ、死ぬときはしれっと死ぬ。そーゆーもんだと。
だから、そう、次のシチュエーションを自分のシチュエーションとするための
クールかつクレバーな一打をこころがけるのが、老齢者が「今を生きる」ための
命綱なんだと思う。
今に集中しろ、フォースとともに。 by クワイガン・ジン